できないんです。
恥ずかしいのです。
頻繁にブックオフに足を運ぶのですが、エロ本、エロDVDのコーナーへは行けないのです。
(うわ、あいつエロ本みてるよ、きっしょ)と思われるのが怖くて見れないのです。誰も俺のことなんて見ていやしないのに。
ブックオフに行くたびに嫌な思いをしているのです。
誰も自分のことなんて見ていないのに見られているのではないか、なにか思われるのではないかという自意識過剰さ。
人の目を気にしてエロ本を物色することさえできない自分のちっぽけさ。
ブックオフに行くたびにこんな自分に辟易してしまうのです。
例えば、ブックオフではなくエロ屋。
たくみ書店やTENGA SHOPであれば平気でエロ本もエロDVDもTENGAだって物色することができる。
それはその場所がエロ屋だからだ。
店に来ている人全員がエロ目的で店に来ているからだ。
しかしブックオフは違う。
若い女の子だっている。
昔ひそかに思いを寄せていた女の子だっているのかもしれない。
エロ本を見ている自分を見られて何か思われるのではないかと気にしてしまうのだ。
藤沢数希著の小説、ぼくは愛を証明しようと思う。でナンパの達人である永沢さんは弟子である渡辺くんとナンパバーに行った際に
「ここはナンパをしてもいいですよと言われている場所だからみんな安心してナンパができる。しかしそれによって女の数に対して男の数が多すぎるレッドオーシャンになってしまっている。本当のナンパ師は誰もナンパしない場所でナンパするものなんだ」というようなことを言っていた。
その原理と一緒だろうか。
エロ屋というエロ目的で作られた店は、エロ物(エロもの)を見てもいいですよという安心感がある。
しかしブックオフはどうであろうか。
もちろんブックオフでもエロ本が販売しているのだから見てもいいに決まっている。
しかしエロ屋のような安心感はない。
そんな安心感のない不安が俺の行動を躊躇させるのだ。
たまにブックオフでエロDVDを真剣に品定めしている男性がいる。
たいていはオッサンだ。
俺はそんなオッサンが格好よく見えて仕方がない。
このエロDVDを吟味している姿を誰に見られても俺は気にしないぜという気持ちが伝わってくるようだ。
いや、本当はオッサンも知人に見られるのではないかと恐れているのかもしれない。
恐れていながらもエロDVDを見る。
その強い気持ちが格好いい。
人間は恐怖の前に立たされたときに本能で逃げてしまうものだ。
しかし見られることを恐れていながらも見ているオッサンはその恐怖から逃げずに立ち向かっているのだ。
なんと勇ましく屈強な男なんだ。
もしこのオッサンが勃起しながらエロDVDを真剣に吟味していたらどうだろう。
多くの女性は気持ち悪いと思うだろう。
しかし、俺は格好いいと思う。
(このオッサン、エロDVDを見ながら勃起している...!なんて人間らしい人間なんだ!なんて真っ直ぐな男なんだ!!)と脱帽してしまうと思う。
そもそもブックオフでエロDVDを真剣に吟味する行為は恥ずかしいことなのか...?
人類はみなエロが好きだし、エロが行われたから皆が存在しているし、エロを行うためにこの世に生を受けたのではないのか?
そう考えるとなにも恥ずべきことではないじゃないか。
俺が間違っていたようだ。
俺は自分で作り上げた虚構の敵の存在を気にしていただけなんだ。
これからは何も気にせずに気の済むまでエロ本もエロDVDも物色していこう。
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(巨乳ギャルものか....今日はこれだな)
???「ふーん、そういうのが好きなんだ」
「え!?か!カナちゃん?!」
カナ「久しぶりだね!」
「いつからいたの!?どうしてこんなところに?」
カナ「まあいいじゃん。中学校卒業して以来だね」
「うん.....」(あぁ中学卒業して10年経った今でもカナちゃんはやっぱりかわいいなあ)
カナ「そういうの見るんだね」
「えっ..まあ......ね...」
カナ「華奢で地味な私はだめかな?」
「えっっ?」
カナ「ねえ今夜暇?二人で飲み行こうよ」
っていう夢のような展開になるかもしれませんから。
AV吟味してたらAVみたいな展開になるかもしれませんから。
おしまい